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2008年10月15日 (水)

ヒダル神は見ているかも......

今日、10月15日(水)は
かねてより、告知があった通り
ブログアクションデー......ということで
思いつくまま、書き連ねてみます。

幸か不幸か、「貧困」とは
どの様な状況を差すのか
私たちは、意図せずに知ることが難しくなってしまいました。

こうしたWeb社会に、アクセスできること自体
「特権」であることも
日常では気づかないくらいです。

広辞苑で、この貧困を引いてみると
①まずしくて生活が苦しいこと
②乏しく欠けていること
――とあります。

この意味を見たときに
改めて、この言葉の持つ二面性に気づいたのでした。

水木しげるさん原作のアニメ
「ゲゲゲの鬼太郎」は、世代を超えて
愛されている作品の一つです。

つい先日、たまたまテレビをつけてみたら
「お、今もやってるんだ......」
という感じで、思わず観てしまったんですね(笑)。

その放送回で鬼太郎と対した妖怪は、ヒダル神。

食べ物を粗末にした人間を襲って
自分と同じ、ヒダル神に変えてしまい
また別の人間を襲い続けるのです。

襲われた人間たちは
どのように、食べ物を粗末に扱ったのでしょう。

 ダイエットのために食べ物を残して捨てる。
 食材の美味しい部分だけを取り出して、残りは捨てる。
 苦手な食べ物を残す。

――なんだか、心当たりがありませんか?

Wikipediaで調べると
ヒダル神は、山道などに現れる
餓鬼憑き物の一種で
憑かれると、激しい飢餓感、疲労感を覚えるのだとか。

数は少ないですが、個人のブログでは
ヒダル神に憑かれた実体験(!)が
取り上げられているなど
現代でも、語り継がれている
生きた伝説であることが分かります。

あくまで、私見ではありますが
古人の知恵によって、戒めや教訓を
擬人化したものが、妖怪なのではないかと思うのです。

メカニズムが解明できない部分を
妖怪や神などの力を借りることで
間違いを犯さないよう
律していたのではないかと。

ヒダル神による空腹感や虚脱感も
科学的に見れば、血糖値の減少や
二酸化炭素の吸引などによって
説明できるものかも知れません。

しかし、メカニズムが解明できたとしても
その根底にある思想を
私たちは、失う必要はありません。

ヒダル神の場合
「食べ物を粗末にしない」という思想です。

よく考えてみるほどに
私たちの社会は、それを否定するような出来事が
まかり通っています。

食糧自給率は4割といわれる一方で
流通や、消費過程で
多くの食品が食べられる状態のまま
廃棄されている事実。

つまり、捨てる前提で世界各国から
食糧が輸入されているわけです

同時に、一部の貧困を前提として
食糧の偏在を許容しているわけですから
これを不思議と言わずして、何と言うのでしょう。

社会構造としての
矛盾を感じざるを得ません。

日々、食糧を搾取されている人たちは
まさに貧困であると言えるでしょう。

しかし、この不思議な社会構造に
漫然と過ごしている
感受性を欠いた私たちも、また貧困と言えます。

衣食足りて礼節を知ると言う言葉がありますが
例え、食べるに困らなくなったとしても
それを粗末にしてしまうことは礼節を欠く。

私たちの社会が、より豊かであるためにも
食糧が満たされない世界の国々に対して
どの様に接していけるか。
共に、どう歩んでいけるか。

ヒダル神は、じっと見ています。

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